今回は「激レアさんを連れてきた。」に出演する萩原望(はぎはらのぞむ)さんをご紹介していきます。
萩原さんは、74日間かけて2000キロの距離をサッカーボールでドリブルをしながらインドを横断した激レアさんとして登場されるようですね!
激レアさんで語られるエピソードも気になるところですが、この記事は萩原望さんがどんな人物なのかもっと知りたいと思った方に向けて作成をしております。
- 萩原望さんのプロフィール情報が知りたい!
- 萩原望さんの経歴が知りたい!
- 萩原望さんの両親について知りたい!
上記に当てはまった方はぜひ最後までお読みくださいね。
萩原望さんのプロフィール

画像出典:PR TIMES
- 名前:萩原 望(はぎはら のぞむ)
- 生年月日:1993年11月12日
- 年齢:31歳(2025年8月時点)
- 出身地:岡山県倉敷市
- 学歴:立命館大学 産業社会学部 卒業
- 身長:180cm
萩原望さんの経歴は?
萩原望さんは一般社団法人FC Nonoの代表を務めており、サッカー活動を通じてインドの子供たちの夢の実現をサポートする活動を行っています。
また、FC Nonoの代表を務めながら2024年3月からは外国人材の育成やマッチング事業を行うフォースバレー・コンシェルジュ株式会社へ入社をされていました。
以下に幼少期から現在までの萩原さんの経歴を順にまとめていきますね!
幼少期 ~ 大学卒業まで
萩原さんは3歳の頃からサッカーを始めており、地元強豪チームの「オオタFC」、中学時代の「サウーディFC」のプレーを経てドリブルスキルを磨いていました。
高校時代は「大分トリニータ」のU18へと進み、寮生活を送りながら2年生からはレギュラーとして活躍し副キャプテンに任命、3年生になるとキャプテンに就任したものの、3年生春の3者面談でクラブからトップチームへの昇格が叶わないことを告げられ、プロの道ではなくスポーツ推薦で立命館大学へと進学をしています。

プロサッカー選手とは違う道で、サッカーを通じて友人や家族に認められたいという想いから、サッカー以外の事にも関心が持てる大学進学への道を決められたようです。
自分がサッカーを通じて地元の友人や家族に認められたいという感覚があることに気づきました。色々と考えた結果、もっと社会のいろんなことを見たい、サッカー以外の事にも関心を持ちたいと考え、大学進学の道に進もうと決めました
立命館大学へ入学後、1年生の頃はサッカー中心の生活を送っていましたが、1年生が終わるころにスポーツ振興の支援活動に取り組んでいた谷本敦さんと出会い、サッカー部以外のコミュニティーが出来るとボランティア活動にも参加されるようになります。
4年時にはサッカー部のキャプテンを務めながら、教育系NPOで不登校児童への支援活動も行っていました。

以下の写真の「後列左から一人目」が萩原さんです。

画像出典:立命館大学
トヨタ自動車への入社 ~ NGO団体入局まで
萩原さんは立命館大学を卒業後、トヨタ自動車に入社すると新車需給の調整や市場分析などに従事していましたが、3年半で退職をされています。
トヨタ自動車退職の理由を萩原さんは次のように語っていました。
3年目を迎えるころ、今後のキャリアについて考えるようになりました。そして、幼い頃から興味をもっていた途上国の人々への支援、その中でも最も大きい範囲で関わることのできる’’国連”の職員になることを志しました。
引用元:Wantedly
トヨタ自動車退職後は国連の職員の応募条件のひとつである修士号を取得するため、大学院への進学を目指しながらシアトルのNGOで難民支援にも携わっています。

英語力を身に着けるために様々な活動をされていて、大学院の結果を待つ間は遠洋漁業の船員として働いていた時期もあったようでした。
大学院の結果が出るまでの7か月間は、オーストラリアで遠洋漁業の船員として働いた。
引用元:FOOTBALL ZONE
大学院への進学は叶いませんでしたが、トヨタ自動車退職から8ヶ月後に日本のNGO団体(公益社団法人 日本国際民間協力会)へ入局されています。
インド駐在 ~ 現在
NGO団体(公益社団法人 日本国際民間協力会)へ入局した萩原さんは、2021年3月からインドで最も貧しいといわれるビハール州に駐在し、有機農業普及プロジェクトの事業管理者として活動をされています。
滞在していた村で、休憩中にボールを蹴っていたところ、興味を持った子ども達が集まるようになり次第にサッカーを教えるようになったのですが、サッカーを教える過程で子ども達に根強く残る身分制度や性差別に「サッカーを通じて何かできるか」と思い、2021年5月に「FC Nono」を設立されました。
「FC Nono」で萩原さんは貧困層の子どもたちにサッカーを教えながら、
- 教育
- 人材育成
- 栄養補助事業
などにも取り組まれています。

「FC Nono」の”Nono”というのは萩原さんの愛称のようでした。
サッカーチーム「FC Nono」を結成。Nonoは萩原さんの愛称だ。
引用元:ほとせなニュース
NGO団体の活動は2022年に満期を迎えましたが、インドの子供たちのために活動したいという想いから、2022年12月7日に「一般社団法人FC Nono」を設立。さらにイギリス企業のインド支店に転職し、国際税務などのサポートをする仕事をしながら、引き続きインドで生活をされています。
萩原さんはFC Nonoの活動のほとんどを自己資金で補っていましたが、一般社団法人として基盤固めをすることや、子供たちが安心してサッカーができる環境づくりをするためにクラウドファンディングによる資金調達なども行っていました。
その後、2024年に海外人材の育成やマッチング事業を行う「フォースバレー・コンシェルジュ株式会社」に転職をして現在に至ります。
萩原さんは転職をしたフォースバレーに関して次のようにコメントをされていました。
私が志す「努力が報われる社会」と、フォースバレーが目指す「国を超えて世界のすべての人が輝ける社会」の実現は、とても密接に関わり合っている未来像だと思います。
引用元:Wantedly
萩原さんは常にインドの子供たちの事を考え、その時々に応じて自らの環境を変えながら最適と考える活動をされてきたことがわかりますね。

以下の写真はサッカー指導をする萩原さんです。

画像出典:ganas
萩原望さんの両親は?
萩原望さんの両親に関する情報はあまり集めることはできませんでしたが、両親ともにクリスチャンであり、父親はフランス文学の教授、母親は英語の通訳をされていることがわかりました。
両親はともにクリスチャンで、父はフランス文学の教授、母は英語の通訳という家庭環境で育ち
引用元:FOOTBALL ZONE
幼い頃から地域の奉仕活動に参加する両親を見て育っていたことや、ホストファミリーとして自宅に留学生を受け入れる家庭環境だったことから、萩原さんは海外志向を強く持っていたようです。
一方で、大学卒業後に入社したトヨタ自動車は家族が喜んでくれた場所であったと、KBS京都テレビの取材で萩原望さんは語っていました。
萩原さんのインドでの活動は、両親からすると心配なことも多かったと思いますが、萩原さんがこれまで活動を続けられているのは、両親の理解や支えもあるのだと思います。
萩原望さんが「激レアさんを連れてきた。」に出演します
今回ご紹介した萩原望さんが出演する「激レアさんを連れてきた。」は以下の時間帯で放送されます。
2025年8月18日(月)午後11時15分~午後11時45分
インドでドリブル旅に挑んだ理由や、道中の様々なエピソードが萩原さんから語られるようなので、とても気になります!放送が楽しみですね!
まとめ
今回は「激レアさんを連れてきた。」に出演する萩原望さんのプロフィールや経歴、両親についてご紹介してきました。
結果としては、
- トヨタ自動車を3年半で退職し、国連の職員を目指していた
- NGO団体へ入局がきっかけでインドに駐在していた
- 一般社団法人FC Nonoの代表を務めておりインドの子供たちにサッカーを教えている
- 2024年に「フォースバレー・コンシェルジュ株式会社」に転職している
- 両親ともにクリスチャンであり、父親はフランス文学の教授、母親は英語の通訳をしている
ということがわかりましたね!
「激レアさんを連れてきた。」の出演をきっかけとして、萩原さんの活動がより多くの人に伝わることで、インドの子供たちのサッカーができる環境がより良い方向に向かっていくと良いですね。
今後のご活躍を応援しています。